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2014/09/03ディスカバー大阪中央線

深江橋

中央大通と国道がクロスする地下に駅があります。

中央大通と国道がクロスする地下に駅があります。


深江橋駅は大阪市を東西につなぐ中央大通と、南北の国道、いわゆる「内環状線(うちかん)」が交差する「深江橋交差点」の真下にあります。大阪の環状道路は、中心部に近い方から順に、「内環状線」「中央環状線」「外環状線」の3本があります。つまりこの駅は、大阪の中心部に一番近い環状道路と、東西の大動脈、中央大通の接続ポイントにある、というわけです。大阪市の外側から市内に入るのに便利な、陸路の交通の要所のひとつです。

 

■古い街には無数の中小企業と病院が

深江橋駅の出口を上がると、そこは大きな「深江橋交差点」。さらに頭上には阪神高速の東大阪線の高架が走っています。駅周辺には大きな商業施設はなく、幹線道路から一筋入ればいきなり、オフィスや小さなマンションが混在した街が広がっています。いかにも昭和レトロな建物も残っています。
しかしよく見ますと、住宅の中に埋もれるように、中小の企業、事業所、工場などがたくさんあります。中小企業の街として知られる東大阪市と同じように、無数の中小企業が事業を営んでいます。
また深江橋駅のある東成区は、全市で4番めに高齢者が多い、ということもあり、中小の病院が数多く見られます。こちらも市街地に病院が埋もれている感じです。

人と車が行き交う深江橋交差点。

人と車が行き交う深江橋交差点。

 

市内中心部に一番近い環状線「内環状線」が南北に走ります。

市内中心部に一番近い環状線「内環状線」が南北に走ります。

 

■のどかな田園地帯からベッドタウンに

深江橋駅は大阪市東成区の北東のはしにあります。大阪の東側は古い土地が多いのですが、この周辺も遠く南北朝時代に、四天王寺の所領であった、という記録があります。江戸時代に入ると幕府直轄の天領地となり、明治時代になってものどかな田園地帯でした。ところが大正時代に住宅地が増え始め、交通の便が良かったこともあり、人口が急激に増えました。
大阪市は昭和になってからさらに飛躍的に発展し、東成区もまた今で言うベッドタウンとして栄えましたが、戦時中の大阪大空襲で焼け野原となりました。つまりこの地域の建物はほとんどが戦後の建築です。
華々しい大規模再開発計画などはありませんが、しかし沈下していくわけではない、むしろしっかりと息づいている古い街。大阪の経済の根底を支えるのは、こういう地域なのだと思われます。

街なかに埋もれるようにたくさんの中小企業があります。

街なかに埋もれるようにたくさんの中小企業があります。

 

街なかに埋もれるようにたくさんの中小企業があります。 いい感じの建物もあちこちに残っています。

街なかに埋もれるようにたくさんの中小企業があります。
いい感じの建物もあちこちに残っています。

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